2015/07/25

2. 『豆腐小僧』の話

今日は会津若松市本町の佐々木老人宅に呼ばれて酒を飲む事になっていた。

午後5時の約束だったが少し早く到着したので、斎藤豆腐店に寄り豆腐2丁を買い求めた。
ついでに豆乳ソフトも買い、本町通り(日光街道)を挟んだ向かい側の、せと万陶器店と大竹洋品店との間の狭い路地を少し入った所に設えられたベンチに腰掛け、既に溶け始めて手に垂れて来た豆乳ソフトを舐めた。
ソフトを食べ終え満足の鼻息を吐くと、胃の辺りから登ってきた冷気が鼻孔を出て行った。

約束の時刻になり諏方神社近くの佐々木老人宅を訪れた。
斎藤豆腐店で求めた豆腐を冷奴にし、よく冷えたビールを飲み始めると「私がまだ子供だった時分の話ですがね」と佐々木老人は話し始めた。

       … … …

昔は路地裏や、家と家とのちょっとした隙間などに、何やら妙な物が居たものである。
それが何なのかと思い、じっと見たりすると途端に何も見えなくなる。
それでも同じ場所で幾人もの人が何かを見たと言うと、町内の物知り顔をした古老などが「あぁ、それは○○と言う妖怪だよ」などと言っていたものである。
そんな中で、ハッキリと姿を現したものの一つに豆腐小僧がある。

豆腐小僧はあまり日の当たらない、いつもジメジメと湿った場所で見かける事が多かった。
その当時でもずいぶん古めかしいと思う格好をしていた。
大きな竹の編笠を被り、鯉や人形の絵柄の短い着物を着て、差し出した器にある豆腐を賞味するように懇願するのであった。
色白で無表情な顔付きで、聞き取れないような小さな声で豆腐を勧めるので最初は気味が悪いが、何だか可哀想になり少しだけ豆腐を口にすると、豆腐小僧はたいそう喜び、小間使いなどを快く引き受けてくれるのであった。

町内の古老の話では、豆腐小僧は妖怪世界の中では虐げられた存在で、他の妖怪の使い走りのような事をやらされており、肩身の狭い暮らしをしているようだった。
気が付けば、いつの間にかその姿を見かけなくなった。

       … … …

佐々木老人は話し終え、私の空になったコップにビールを注ぎながら、「この辺りでよく豆腐小僧を見かけたのはね」と本町の裏通りの、とある場所を教えてくれたが、老人が最後に豆腐小僧に会ってから既に70年近く経っている。
豆腐小僧も佐々木老人と同じような爺さんに成っているのだろうか。
それでもどこかで達者に暮らして居てくれれば良いと思う。

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